JRの錦糸町駅を、北口に出て(丸井とは反対側)、駅前の「北斎通り」を両国方面にブラブラ5分ほど歩くと、
「東武ホテル」を過ぎたところの両側に、細長〜い「イベント広場」が現れる。
(会場の正式名称は、「墨田区立 大横川親水公園 パレットプラザゾーン 錦糸町イベント広場」)
(地元の年配の人の中には「長崎橋跡イベント広場」とか「旧長崎橋広場」などと呼ぶ人もいる)
(大横川が埋め立てられて 今のように公園に整備される前、ここには青い鉄の橋があって、カッコよかった)
(ちなみに、両国の方に、もうちょっと行った所に、葛飾北斎の生誕地がある)
錦糸町ではフリマが盛んで、錦糸公園、丸井屋上、駅前アルカキット屋上、などなど・・・
いくつものフリマが、毎月、毎月、開催されている(主催者は別々)が、
「この会場が一番好きだよ」と言ってくれる人が大勢いる。
(会場ごとに「競い合う」、これこそが本来の「競争」というものだろう)
出店数的には150店と「中の中」といった程度の規模であるが、「フリマ・プロ」みたいな出店者は一人もいないし、
家族連れや友達どうしといった、「一般フリマ(環境フリマ)の基本形」的な出店者が、
賑やかに、和気あいあいと楽しんでいる光景は、いかにもほほえましく、
買物に来た人まで、ほのぼのとして、なぜか幸せな気分になる、そういう会場である。
(※ 出店数的には中規模であるが、「出店数」に対する「来場者数(買物客数)」の比率・密度では、靖国と同等か、それ以上の会場である)
ちなみに(その1)、出店している人は、墨田、江東、台東、江戸川、市川、船橋、千葉など、
地元の人や総武線沿線(千葉方面が多いが、新宿、中野、杉並、吉祥寺、三鷹などの人も結構いる)の人が中心であるが、
中には、横浜、相模原、八王子、大宮、草加、松戸、柏など、ずいぶん遠くから出店してくれる人もいる。
1998年4月より、「毎月1回、日曜日に開催」ということで始まったこのフリマも、
今年で 15年目に突入し、「安定して賑やかな開催」が実現している。
例えは変かもしれないが、錦糸町イベント広場は「5等級の石垣牛のステーキ 150g」 といった感じのフリマである。
(当会のフリマは、靖国神社が「200g」、錦糸町イベント広場が「150g」、である)
「50g」〜「100g」では「物足りない」が、 かといって、「500g」とか「600g」では「食べきれない」、
というような「品の良い」人には、「ちょうど良いボリューム」だと思われる。
(※「松坂牛」 ではなく、「石垣牛」 としたあたりで、「通好みの基本形」 を表現している。 感じ取っていただければ 幸いである (^o^)
)
錦糸町イベント広場は「初めてフリマに買物に行く or 出店する」などという人にも、ちょうど良い、おすすめの会場である。
(余談) 津軽藩 津軽稲荷 弘前城のしだれ桜 本所七不思議 おいてけ堀 カッパ
長谷川平蔵(鬼の平蔵) 勝海舟 葛飾北斎 芥川龍之介 ・・・・・・・・・
ちなみに(その2)、この錦糸町イベント広場の周辺には、いくつかの歴史的な名所・史跡が存在する。
@A会場の入口わきに、津軽稲荷があるが、これは、江戸時代、この辺りに津軽藩の広大な屋敷があり、
その藩邸の中にあった稲荷を一般の人にも信仰できるようにしたもので、そういった縁で、
A会場の中に植えられている桜の並木(しだれ桜)は、ここの地元の有志が弘前城から譲り受けて移植したものである。
(それにしても、会場に隣接した亀沢町会および錦糸町会には「人情にあつい粋な江戸っ子」の方々が多く住んでいて、
なんだかんだと いろいろと良くしてくれ、主催者として いつも深い感謝と尊敬の念を感じている次第である)
都内では、阿波踊りとか 七夕祭りとか、どういう縁で開催しているのか よくわからない祭りも多い(僕の無知?)が、
津軽藩とこの本所近辺(「大横川」と「割下水:江戸時代を代表する下水道:今の北斎通り」の交差したこの近辺)は
上記のように 明らかに 深い「縁」があり、できれば「北斎通り」と「大横川親水公園」とを舞台に、
津軽の「ねぷた祭り」をやれないものかとも考えられている。・・・・・ 開催できたら、どんなにいいだろう!
(諸説があるが、この津軽稲荷近くが、本所七不思議の「おいてけ堀」の本当の舞台である、とも言われている)
(すなわち、大横川のこのA会場、B会場周辺には、江戸時代に、カッパがいたわけだ)
(ちなみに、錦糸町の駅から都立墨東病院の方に行った所に、墨田区立「おいてけ堀公園」があるが、・・・)
AB会場のガードをくぐると江東橋にでるが、今、交番がある場所の近くに、「鬼の平蔵(長谷川平蔵)」が
子どもの頃に住んでいた家の跡がある。子どもの頃の平蔵はツッパリ・悪がきで知られていたものの、
剣術だけはまじめに鍛錬に励んだということだが、平蔵が通った高杉道場は、A会場の奥にある法恩寺橋の
たもとにあったということである。というわけで、子どもの頃の平蔵は、A会場、B会場のあたりを、
しょっちゅう行き来していたわけである。
(火付け盗賊改め方となって職を辞した時には、地下鉄の「菊川駅」のすぐそばの屋敷に住んでいたらしいが)
(その菊川駅のすぐそばにあった屋敷には、「遠山の金さん」遠山金四郎も、住んでいたらしいが・・・・・職員住宅?)
Bまた、平蔵が子どもの頃に住んでいた家の手前には、勝海舟が子どもの頃に住んでいた家の跡がある。
(生まれたのは、もう少し両国の方に行った所であるが、子どもの頃、遊びまわっていたのは、この辺りなのである)
C葛飾北斎の生まれた場所は、もう少し両国の方に行った所であるが、葛飾北斎は「生涯に93回」引越しをし、
その大半が 本所周辺 ということなので、A会場、B会場、の周辺にも 当然 住んだことがあると思われる。
もちろん、この辺りを しょっちゅう歩き回っていたことであろう。
D平蔵や海舟が子どもの頃に住んでいた所の反対側に、「両国高校」があるが、
ここは芥川龍之介が通った学校で、校庭に碑(随想「大川の水」)がたてられている。芥川龍之介は、子どもの頃、
両国4丁目に住んでいて、両国小学校、府立三中(今の両国高校)に通ったのである。
当然、A会場、B会場、辺りもしょっちゅう歩いていたことだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・等々
この他に、徳川家ゆかりの何とかとか、太田道灌ゆかりの何とかとか、相撲や歌舞伎、浄瑠璃、落語など
こまごまと説明していたら きりがないほど、この辺りは、なかなか、面白い所なのだ。
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